ありがとう
昔お世話になった人が末期状態との連絡が入った。
7年前から癌を患い、最後に会った時(三年前)には100kgあった体が痩せほそって、年をとったのもあり、ひどくやつれていた。
今、家族に見守られ、在宅ホスピスで平和にその時を迎えているとのこと。
遠方のため会いにもいけないのがもどかしい。
最後に会った時、もう会えないかもしれないと淡々と言われ、悲しいながらもその一緒に居られるひとときを大事にしようと先のことは考えなかった。
現在、逐次状況のメールを家族から送ってもらっています。周りの家族はなんて穏やかなんだろう。もう何年も前から覚悟を決めていたからなのか、いかに心地よく逝かせるかの心配りが想像を超えている。とても出来るものじゃない。
そういえば自分の親も、いつ先立つかわからない年になってきた。とはいえ、なかなかそんな『その時』のことは考えられない。
逝く人に知らせておかないといけないのは、いかに感謝しているか、、これだけはどんな状況でも伝えなきゃいけない。
今穏やかに時を待っている人に、(読めないかもしれないので家族宛てに)言葉が下手くそな私なりに目一杯のありがとうメールを送った。
まだ生のある人にそんなことを書くのはためらいもあり、奇妙な気もしたけど。
そして撮りたてのちゅきの写真も。
初節句用に写真館で撮りました
会ってほしかった。。
7年前から癌を患い、最後に会った時(三年前)には100kgあった体が痩せほそって、年をとったのもあり、ひどくやつれていた。
今、家族に見守られ、在宅ホスピスで平和にその時を迎えているとのこと。
遠方のため会いにもいけないのがもどかしい。
最後に会った時、もう会えないかもしれないと淡々と言われ、悲しいながらもその一緒に居られるひとときを大事にしようと先のことは考えなかった。
現在、逐次状況のメールを家族から送ってもらっています。周りの家族はなんて穏やかなんだろう。もう何年も前から覚悟を決めていたからなのか、いかに心地よく逝かせるかの心配りが想像を超えている。とても出来るものじゃない。
そういえば自分の親も、いつ先立つかわからない年になってきた。とはいえ、なかなかそんな『その時』のことは考えられない。
逝く人に知らせておかないといけないのは、いかに感謝しているか、、これだけはどんな状況でも伝えなきゃいけない。
今穏やかに時を待っている人に、(読めないかもしれないので家族宛てに)言葉が下手くそな私なりに目一杯のありがとうメールを送った。
まだ生のある人にそんなことを書くのはためらいもあり、奇妙な気もしたけど。
そして撮りたてのちゅきの写真も。
初節句用に写真館で撮りました
会ってほしかった。。
by atgong
| 2012-05-01 22:35
| ブログ